生きるってドラクエⅢみたいなものだと考えると楽になる話。

子供の頃の僕は、ゲーム大好き少年でした。

いわゆるRPG(ロールプレイングゲーム)にハマり、

特にFF(ファイナルファンタジー)とドラクエ(ドラゴンクエスト)が大好き。

あの世界観にどっぷりと浸かっていました。

 

僕はFFもドラクエもⅡ〜Vが最もハマった、

ファミコン〜スーパーファミコン世代。

愛読書は「ファミリーコンピュータマガジン」というゲーム雑誌。

ファミ通よりも、ファミマガ派。

 

必ず発売日に購入し、雑誌の隅から隅まで一字一句逃さずに読破する。

最新情報を漏らすことなくキャッチし、

新たなゲームの知識と最新作への期待を膨らませることに何よりも幸せを感じる、

ちょっと根暗な少年でした。

 

まあ、今も基本的に根暗な性格は変わっておりません。

仕事柄、人前では明るく振る舞っておりますが、

一人で黙々と何かを作ったり、

一人で悶々と何かを考えていることが好きな、

根は暗めで、いくつになっても基本、

引っ込み思案で口数の少ない人間です。

 

「孤独を感じたことがない人はいないだろう。これだけたくさんの人が周りにいるのに、誰もが孤独を感じている。」

 

 

僕がDIYオンラインサロンを作るにあたって教科書とさせていただいた本、

『We are lonely, but not alone. 現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ』佐渡島庸平/著

は上記の書き出しから始まります。

 

僕自身、常に孤独を感じていました。

過去形になりましたが、今でも変わらず孤独を感じることがあります。

 

ちょっと長くなりますが、本からの引用を続けます。

「孤独は、周りに人がいるかどうかではない。心のつながりの問題だ。」

「世の中を観察すると、人と人は、SNSでどんどん繋がるようになっている。知り合いが増えて、やりとりも増えて、情報交換は忙しくなっている。でも、つながっているのに孤独は増している、そんな不思議な状況が社会では生まれている。」

「今まで、人は、意思とは関係なく、コミュニティに所属していた。地域、学校、会社。どれも、参加するという意識を持たずに、生活していく上で所属せねばならないコミュニティだ。そして、そのコミュニティに合わせて、自分の心をちょっとだけコントロールしなくてはならず、そのちょっとが、大きな心理的負担になっていた。」

「自ら参加する、趣味を軸にしたコミュニティを持ったら、人はどのようになるだろう?」

「コミュニティについて考えることと、孤独について考えることは似ているように感じる。『宇宙兄弟』の中にこんなセリフがある。「We are lonely, but not alone.」このセリフは、宇宙で一人漂う宇宙飛行士が発するものだ。しかし、たくさんの人間に囲まれていても、lonelyにはなる。どうすれば、not aloneになれるのか、コミュニティについて考えながら、探りたいと思う。」

 

孤独を感じると不安になる。

不安になると怖くなる。

その孤独の恐怖を跳ね返すために、誰かとのつながりを求め、

自分の存在意義を認めてもらうために、

自己承認欲求が強くなる。

 

子供の頃に、ゲームの世界に入り込んでいた僕も、

現実の生活に戻れば、その世界観を共有できる仲間を求め、

ゲームの話しができることに幸せを感じ、

調子に乗ってマニアックな話しばかりをする、

そんなウザい存在になっていたのかと思います笑。

 

FF、ドラクエのゲームの中の世界は、

まさに「宇宙」でした。

まさしく僕は宇宙空間を一人で漂う宇宙飛行士。

無限に広がる世界。

なんともいえない高揚感と幸福感を感じ、

孤独ではありましたが、不思議と寂しさよりも、

まだ見ぬ世界への希望と期待に包み込まれ、

まさしく、孤独ではあるが一人ではない、という感覚でした。

自分自身もゲームの世界の中では無敵でした。

 

しかし、データをセーブ(保存する)し、

リセット(電源を切る)をした瞬間、

現実の世界に戻ると…

なんだか制約だらけの閉塞感。

孤独と無力感。

 

僕の職業、仕事である「セルフビルドパートナー」をやる意味とは?

実はこれには、僕が実現したい裏テーマがありまして…

とまだまだ自信を持って言える事ではないのですが、

最近、少しずつ機会とタイミングをみて、

お話しをさせていただいている、

僕の目指すべき大きな大きなテーマがあります。

 

実はこの仕事を通じて僕は「自殺者数を減らしたい」と考えています。

 

この大きな目標を達成するために、

僕ができることは、まだまだ言語化ができておらず、

自信を持って語れるテーマでは無いので、

裏テーマとして、自信なくお話しをさせていただいているのが現状です。

 

DIYの本質は「自己満足」である。

ということが、僕がこの仕事を始めて5年間で得た、

最も大切な気づきです。

 

ネガティブな言葉として使われることが多い言葉ですが、

僕はとてもポジティブな言葉として使っています。

「自分で自分が満たされてる状態=自己満足」

自己承認欲求を自ら満たす自己満足。

これこの上ない、極上の幸せ笑。

 

何でもいいので、自分で作り出すことができること、

自分で自分自身を作り出すこと。

それがDIY(Do it yourself=自分でやる)。

DIY力=生きる力を養うことを提供していきたい、

それが僕がこの仕事をする理由、この仕事をやる意味です。

 

その裏テーマのためにDIY力を身に付けていく。

この活動はもちろん大切なのですが、

そもそも、僕たちは一体、何に怯えているのだろう?

何に追いかけられているのだろう?

それを考えていくことも大切なことだと思います。

 

それを気づかさせてくれたのが、

Newspicksでホリエモンこと堀江貴文さんがお話しされていた言葉です。

「人間関係と健康があれば怖いものは何も無い」

 

特に現代の日本では、何も怯えることは無い。

生活保護もあるし、最悪でも死ぬことは無い。

刑務所に入っても、三食欠かさず温かくて美味しい食事がいただける笑。

たしかに。

 

きっと、僕たちは今時点での生活水準を保てなくなることが怖いんだなと思いました。

今と同じ収入、同じ家、同じ生活、同じ家族、同じ友達。

それと合わせて、自分のプライドを失うこと。

それが、きっと怖いんだと思います。

 

そう考えられた時に、とても楽になるフレーズが頭にふと浮かびました。

「失うものは何も無い。そもそも、得られるものも何も無い。」

 

僕たちは、何かを少しずつ積み重ね、

何かを少しずつ得ている感覚で生きています。

しかし、いやちょっと待てよ…と。

そもそも、僕たちは何かを得ているのだろうか?

そもそも、何かを自分のもの、と考えること自体がおこがましい事なのではないだろうか?

 

そう考えられた時に、肩の力が抜けると共に、こんなことが頭に浮かびました。

そうか…僕たちが生きることって、ドラクエⅢみたいなものだ、

と考えるとすごく楽になるのかも…笑。

 

ようやく、今回お話ししたい内容につながりました。

前置きが長すぎる笑。

 

ドラクエⅢは、4人のパーティ(仲間)で、

世界を滅ぼそうとする大魔王を倒すために、

世界へ旅に出る、というゲームです。

このゲームの仕組みをよく考えてみると、

教訓も含めて、ほんと良くできているなぁ、と気がつきました。

 

まずは「全滅」というシステム。

4人のパーティ(仲間)でモンスター(敵)を倒しながら、

「経験値」を積み重ね、自分たちの「レベル」を上げて力を身に付けていきます。

モンスターを倒すと、経験値が積み上がるだけでなく、

ゴールド(お金)も貰えます。

 

ゴールドを貯めると、武器や防具という装備を買うことができて、

自分たちの攻撃力や防御力を上げることができて、

レベルを上げると共に、より強くなることができます。

 

ゲームをプレイする上で、プレイヤーが最も恐れるのが、

4人パーティ全員が死んでしまう「全滅」。

 

モンスターの攻撃を受けて、HP(ヒットポイント=体力)がゼロになると、

そのキャラは死亡…となります。

 

一人、また一人、と仲間が殺されていくと、

脇汗がダラダラと激しくなってきて、

4人全員が死亡すると、全滅…

やっちまった…

となります。

 

全滅…実社会でいうところの自己破産でしょうか。

全滅、というと全ての終わり、終了…というイメージの強い言葉ですが、

もう二度とゲームができなくなるわけではないのです。

 

主人公である「勇者」は生き返り、それ以外の3人の仲間が死亡した状態で再度、ゲームが再開します。

失うものはゴールド(お金)の半分。

仲間の命は教会でお金を払うことにより生き返らせることができます。

よって、仲間を生き返らせるためのゴールド(お金)をかなり失うことになるのですが、

経験値、レベルは下がることはありません。

身に付けていた武器や防具も残ります。

要するに、自分たちの身に付けた力は全く変わらずに残るために、

そこから再び、冒険を続けることができるのです。

 

自己破産したら、武器も防具も全て、身ぐるみ剥がされちゃって、

ドラクエとは違うよー!と言われてしまうかもしれませんが、

たとえ武器、防具を失ったとしても、

経験値とレベルは、現実でも下がることは無いかと思います。

 

それと、武器や防具も単なるお金で買ったモノ、という捉え方ではなく、

戦いを重ねる中で得たスキル、と捉えると、やはりそれも失うものでは無いかと思います。

 

そもそも、ドラクエの勇者たちが最強なのは、

資産を何も持たないこと。

旅、冒険の目的は、世界を滅ぼそうとしている、

大魔王を倒すこと、世界平和。

 

モンスターを倒して戦うのは、

自分たちのレベルを上げることと、

お金を稼ぐのは、自分たちの力をアップさせるための、

装備を整えるため。

家を買うため、では無いのです。

そもそも、失うものは何も無い。

 

ただ、勇者たちが手に入れていくことができる、

最も大切なものがあります。

それは、世界中を旅しながら、

世界中の街や村を魔王の驚異から救い出すことにより得られる、

世界中に増える仲間と世界中の住民からの信頼です。

 

だから資産としての家が無かったとしても、

(実際は実家がありますが、ほとんどたまーに寝に帰るだけ。帰っても家族も素っ気ない笑)

世界中の街や村や城に自分たちの存在を認めてくれる友人がいるだけで、

何も寂しくは無いのです。

 

そして、4人には「職業」があります。

主人公は「勇者」。

残りの3人は職業を自由に選べます。仲間の入れ替えも可能です。

 

ドラクエⅢのおもしろいところは、

この4人の職業を自由に決めることができて、

最初から4人が一緒に冒険が始まるところ。

そして、勇者以外の他の仲間の個人のストーリーが無いこと。

 

これは、僕はきっと4人合わせて、4人で自分一人なんだ、と捉えました。

「勇者」以外の3人の職業を決めて、冒険をスタートするのですが、

当然、職業により得意な能力が異なり、

4人パーティとしての能力のバランスを整えながら職業を検討します。

 

攻撃力も防御力も高い「戦士」

回復の魔法が得意な「僧侶」

攻撃の魔法が得意な「魔法使い」

攻撃力と素早さに優れた「武闘家」

最初は役に立たなそうな「遊び人」笑

「商人」や「盗賊」、ゆくゆくは「賢者」なんて職業も選べてきます。

 

主人公である勇者はバランスの良い職業。

これが自分の核となり、

そこに自分なりの個性としての職業の仲間と一緒にパーティを組み冒険に出る。

そう、自分の強みは自分で決められるのです。

 

全滅よりも恐ろしいことが、一つだけあります。

それは、バックアップ(データ)が消える…ということです。

特にファミコン時代のカセット(ソフト)はデータ保存の能力が弱く、

割と頻繁にバックアップが消えました。

地獄に落ちたようなサウンドと共に、

「冒険の書(バックアップされたデータ)が消えました…」

と奈落の底に突き落とされたような気分と共に、

悪魔の宣告がなされるのです…

 

これは、本当にショックが大きく、

こちらの方が、心理的にはある意味、自己破産に近い状況なのかもしれません。

それまでのデータが無くなってしまうため、

一から、最初から全てやり直し…

ついでに、借りていたカセット(ソフト)だった場合、

友人のバックアップも消えてしまうことがあるため、

友情も合わせて失う可能性もあります笑。

実際、僕もそれで友情を失いかけました。

 

でも、最悪のその状況でも、またやり直せます。

友情も取り返せます笑。実際、取り返せました。

それで取り返せなかった友情なら、所詮、その程度の友情だったんです。

絶望の縁から再度ゲームをやり直してみると、

自分の経験は記憶に残っているため、

以前よりもスムーズに同じ段階まで戻すことができて、

案外落ち込んでいたことが馬鹿らしく感じることもあります。

 

さらには、「転職」というシステムがあり…

と、もっともっと掘り下げていくと、教訓はまだまだ出てきそうですが笑、

あまりに長くなってしまったので、

これで最後。

 

ゲームの最終目的は大魔王を倒し、世界平和を成し遂げること。

それがゲームクリア。

それを目指して、冒険を続けるわけなのですが、

念願の大魔王を倒し、世界平和を成し遂げ、

長い長いエンディングを見届けると…

これを目的に頑張ってきたはずなのに、

なんだかとてつもない寂しさと共に、

欠落感に襲われてしまうのです。

 

もっと、もっと、プレイを続けていたかった…

もっと、もっと、戦っていたかった…

もっと、もっと、強くなりたかった…

目的は達成したはずなのに、今度は自分たちのレベルを最大の99にすることに

精力を注ぎ込むことになります。

でも、自分たちが強くなればなるほど、なんだか虚しい…

モンスターを無傷で一撃で倒せるようになるが、

なんだか何のためにレベルを上げていたのか、

やってる意味が分からなくなる…

そして、飽きる。

 

すると、続編のⅣの発売が待ち遠しくなるのです。

皮肉にも新たな魔王の出現を心待ちにすることになるのです笑。

 

最後の教訓はここにあります。

実は、目的を達成したその先に「幸せ」が待っているわけでは無い。

目的に向かってプレイしている、その最中こそが「幸せ」なのである。

 

めっちゃ長くなりましたが結論に。

世界平和という大きな目的は大事。

自殺者数を減らすという大きな目標も大事。

でもその達成の先に「幸福」が待っているのではなく、

その過程にこそ「幸福」が埋もれているのではないでしょうか?

 

ドラクエⅢをプレイすること。

それは、より良い自分、より強い自分、よりカッコイイ自分を作ること。

DIYで自分自身を作り上げていくこと。

強引にまとめさせていただきました笑。

 

さあ、DIYしようぜ!

共に創り、友になろうよ!

 

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